History SMITH OASISの歴史について

Prologue

この一帯はかつて鍛冶屋町とよばれていました。
英語で鍛冶屋のことをBlacksmithといい、
SMITH はその略称になります。
自然が少ない都会のコンクリートジャングルに
水辺と緑のあるオアシスのような場所をつくりたい。
そんな想いからSMITH OASISと名づけました。
取り壊さざるを得なかった旧建物の一部を再利用し、
また捨てられる運命だったイスやテーブルなどを修理して使っています。
そして、家族から受け継いだり各国を旅して集めたりした
古今東西のさまざまな絵画や美術品を館内全体に散りばめました。
殺伐とした都会にありながらも、
快適さと安らぎを追求しているSMITH OASIS。
訪れる人にとって格別な空間になることを信じてやみません。

Background

ここSMITH OASIS Guest Houseが建設されている場所は、
もともと父が創業した(株)シブタニの本社があったところです。
現在本社は、大阪市内の別の場所に移転しています。
父が、近代建築の祖と言われる坂倉準三氏に建築を依頼しました。
坂倉準三氏は、パリで活躍していたル・コルビュジエに師事し
モダニズム建築を実践した建築家です。
旧本社ビルが出来上がったのは、1962年、壁が赤、床が黒、
天井がグリーンのおしゃれなビルだったそうです。
父は、坂倉準三氏に「百年もつ、いざというときには地下を防空壕に使えるような頑丈なビルにしてほしい」と頼んだそうです。
地下は2重構造になっており、鉄筋は驚くほどの数が入っています。
2019年に取り壊されるまで57年間使用されておりましたが、
残念ながら雨漏りや耐震補強のため取り壊さざるを得ませんでした。
その頑丈な地下は、現在このSMITH OASIS Guest Houseの基礎として
立派に使用され続けています。地下を再利用することによって、
産業廃棄物を減らし、SDGsにもつなげることができました。

エントランスホールの金庫について

エントランスホールに鎮座しているのは、1955年製の耐火金庫です。
扉や壁に砂が入っており、850㎏あります。
旧本社ビルが完成する前から使われており、
父の会社の歴史とほぼ重なります。
これは父の会社の歩みを見てきた大切な宝物。
旧本社ビルを解体するにあたり、
これは絶対保存しなければならないと思いました。
これからのSMITH OASIS Guest Houseの歩みも
見守ってくれるシンボルです。